2018年度最初の商工会議所講演会となる異業種交流委員会(井上 秀司委員長)主催による元宝塚トップスター麻路さきさんの講演会は、2018年1月16日午後6時から7時30分過ぎまで会場一杯の53人が参加して開催した。
元宝塚トップスターの麻路さきさんは、前半編として「宝塚音楽学校時代」と「退団後」として講演を開始、麻路さきさんは、3歳からピアノを習っていたが、背が高くてスポートが得意な少女。10歳の時に宝塚歌劇の存在を知り、『ベルサイユのばら』ブームで宝塚歌劇団のとりこになったが、級友の皆が女性だけで演じる宝塚歌劇団には関心がなかったが、自分は宝塚の隠れファンになっていたと説明。神奈川県で中学時代を過ごし、誰もが有望な進学校に進むと思っていたにも関わらず、ヅカファンで虜になっていた麻路さきさんは、母に頼んで宝塚音楽学校に受験させてもらったが、合格したために両親は渋々入学を許した。
宝塚音楽学校の応募資格は、容姿端麗で宝塚歌劇団の舞台人に適する者。義務教育終了から高卒までの年齢(15歳 - 18歳)の女子、受験のチャンスは最大4回、試験日程は、第1次試験は面接(東京・宝塚) 30秒間で、氏名以外の自分のデータを暗唱する。第2次試験は面接・歌唱(課題曲・新曲視唱)・舞踊。第3次試験は面接・健康診断。試験内容として、面接では宝塚歌劇に適した容姿端麗であること、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
歌唱では、課題曲(数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱。舞踊では、体の柔軟性、リズム感、運動神経、洋舞踊適性が審査対象になる。課題は、試験会場で本科生が模範演技を見せる。予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団の団員養成所であり、モットーは「清く 正しく 美しく」、生徒の身分は阪急電鉄正社員。授業時間は、午前9時より午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。制服は洋服(制服・制帽・コート類その他)、和服(緑の袴・黒紋付…色物着用の時もある)。
学校生活では、入学後の1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮で集団生活する。2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。だいたい身長167cmを境にして分かれるとされ、舞台上の性別は「身長だけで決まってしまう」とも言われる。ただし本人の個性(顔立ち・声など)が顕著な場合は例外もある。以前は身長を基準に高い方を男役、低い方を娘役の時代もあったが、現在は本人の自己選択。進級・卒業は無条件ではなく、留年措置も存在する。
音楽学校卒業後、基本的には全員入団するが、歌劇団から入団を拒否されたり、個人的な事情で入団を辞退する者もいる。宝塚歌劇団に入団する場合、学校の席次は入団時にも付いて回る。新入団者の序列は、卒業時の席次であり、これが様々なリストなどで公開されている。
元宝塚歌劇団の星組で男役のトップスターに上りつめた麻路さきさんの音楽学校卒業ではピアノができたので10番で卒業、1983年の月組が初舞台講演、新人公演では準主役、役がついてきて星組に組替えされた。星組に入ったら役が付きだして本公演のポスターに2番手、3番手で掲載されだした。
麻路さきさんは1993年、当時のトップスター紫苑ゆうの負傷休演により『うたかたの恋』。宝塚大劇場公演では代役として主演ルドルフを、全国ツアー『秋…冬への前奏曲』ではコマロフスキー伯爵を娘役トップの白城あやかとともに演じた。
1994年12月にトップ就任後は、中日劇場公演を経て、1995年3月『国境のない地図』(作・演出:植田紳爾/阪神・淡路大震災による被害からの宝塚大劇場復興第一作)でその姿を披露した。ピアニスト役を演じ、劇中でピアノ演奏を披露。先代からのトップ娘役・白城あやかとコンビを組んだ。麻路さきさんのターニングポイントとなった『エリザベート -愛と死の輪舞-』のトート役で出演した。『皇帝/ヘミングウェイ・レビュー』を最後に日系ブラジル人宝石商との結婚のため退団。退団記念にピアノのCDを発表している。結婚後はブラジル・サンパウロに移住。2000年に男児を出産。ブラジルではジャズダンスやストレッチ体操、ピアノの指導を行っていることなど充実した人生の一片を披露して、参加者からの鳴りやまぬ盛大な拍手で講演を終了した。
講演中の元宝塚トップスター麻路さきさん
開催挨拶を行う異業種交流委員会の井上 秀司委員長
Fotos: Rubens Ito / CCIJB