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2005年5月ブラジル日本商工会議所コンサルタント部会ジェトロ・サンパウロ
アヴェニーダ・パウリスタは、言うまでもなくサンパウロ市のビジネスの中心地である。ブラジルの有力企業、外資系企業、日本企業などの多くが、この通りの界隈に集中している。しかしながら、意外にこの通りの由来、どのような建物、通り、ショッピング・センター、文化センターの存在等について知られていない。パウリスタには、ASSOCIACAO PAULISTA VIVA(パウリスタ・ヴィーヴァ協会、www.associacaopaulistaviva.org.br)というNGOがあり、そこが最近発行したMAPA TURISTICO DA AVENIDA PAULISTA(パウリスタ通り観光地図)を発行している。この地図他の資料を参考にしてこのガイドを作成した。また通りの由来は、Panda Books 社発行の「1001 Ruas de Sao Paulo 」とhttp://www.dicionarioderuas.com.br/を参照にした。パウリスタ通り界隈に事務所や住宅を構える日本進出企業、コローニァ企業の皆様のお役に立てれば幸いである。
1890年に建設される。この名前は、Joaquim Eugenio de Limaが命名。1891年12月8日に厳粛にセレモニーが催された。全長2、800メートル、幅30メートルのこの通りは、エレガントかつ裕福な人々の住宅地として特別に設計された。サンパウロでアスファルト化され、並木のある初めての公道。イルミネーションもされていた。その昔、カーニヴァルの時期には、パウリスタ通りで、サンバの踊りや行列、山車等が行進した。その後、1940年に、AVENIDA BRASILに移り、20年間続いた。現在では、Sao Silvestreマラソン大会は、国際的にも有名になっているが、その起源は、1924年に遡り、ジャーナリストGasper Liberoが保有していたA GAZETA紙が主催して始まったものである。
非営利のNGOで、一群の企業家によって、80年代後半に設立され、サンパウロのシンボルであるパウリスタ通りを保全し、この地区を訪問したり働いたりする多くの人々の生活の質の向上を図ることを目的としている。この活動は、パウリスタ・ヴィーヴァ・コミッションとして発足し、1996年には、今のパウリスタ・ヴィーヴァ協会になった。2003年には、OSCIP(公共利益を目的とする民間組織)として法務省により認定される。この協会は、パウリスタ通りで行われる各種イベントの組織、訴訟問題、シチズンシップ、治安、環境保全、地域の改善のための仕事を行っている。サンパウロには、2002年より、 SUPEDANEOSと呼ばれる移動交番ボックスがあるが、これは、パウリスタ・ヴィーヴァ協会とサンパウロ州軍警察が協力して、2002年から始めたもので、近代的武器によって武装し、訓練を受けた世界でも最初の試みの1つということである。移動交番を見ると協会のマークがあり、協会の所有物と書かれている。
①SHOPPING PAULISTA Rua 13 de Maio,1974 4館②GEMINI 807 2館③>TOP CINE 854 2館④BRISTOL 2064 7館⑤>CINEARTE 2073 2館
左側(奇数番号)①CASAS DAS ROSAS 37②SESC PAULISTA 119③INSTITUTO ITAU CULTURAL 149④ESPACO CULTURAL W. CHURCHILL 807⑤ESPACO CULTURAL CITIBANK 1111⑥CENTRO CULTURAL FIESP 1313⑦ESPACO CULTURAL CONJ. NACIONAL 2073
右側(偶数番号)①CENTRO CULTURAL SANTA CATARINA 200②FUNDACAO GASPER LIBERO(TEATRO GAZETA) 886 ③ESPACO CULTURAL BANCO REAL 1374④GALERIA PARK AVENIDA 1776⑤ESPACO CULTURAL BANCO DO BRASIL 1804⑥ESPACO CULTURAL BANESPA 2064⑦ESPACO CULTURAL SAFRA 2100
①SHOPPING VENEZIA 右側 486②EDIFICIO WINSTON CHURCHILL 左側 807③TOP CENTER 右側 854④STAND CENTER 右側 1098⑤CENTER 3 右側 2064
番号の少ない方から多い方に向かっての通り、広場につき紹介する。
(交差する通り)
Oswaldo Cruz, Praca パライソ、セ。Oswaldo Goncalves Cruzが本名。1872年サンパウロ州生まれ、医者。ペストや黄熱病との闘いに貢献があった。彼の提案により天然痘のワクチン投与が義務付けられた。ブラジル文学学会、レジョン・ド・ヌール勲章受賞。リオ州ペトロポリ市長を歴任。Doutor Rafael de Barros, Rua 左側 パライソ。1835年、イットウーに生れる。サンパウロ市会議員、ジョッキー・クラブの創設者の1人。 Treze de Maio, Rua 右側 べラ・ヴィスタ。1888年5月13日、黒人奴隷を廃止した有名なアウレア法を署名した日 Leoncio de Carvalho, Rua 左側 パライソ。1847年リオに生まれる。弁護士、法学教授、自由党に入党、サンパウロ大学法学部長、最初のサンパウロ州法起草者の一人。 Teixeira da Silva, Rua 左右 べラ・ヴィスタ、dr. Antonio Teixeira da Silvaが本名。1886年ラルゴ・サンフランシスコの法学部で学ぶ。1891年司書、その後弁護士として活躍。 Maria Figueredo,Rua 左側 パライソ。その地域の大地主だったJose Borges de Figueredo氏の妻に敬意をひょうしたもの。 Carlos Sampaio, Rua 右側 べラ・ヴィスタ。リオの市長、リオ・デ・ジャネイロポリテクニコの教授。1875年から1930年にかけてリオの都市計画の責任者。Manuel da Nobrega, Rua 右側 パライソ。1517年、ポルトガルに生まれる。イエズス会の使徒。ポルトガルから派遣された最初の総督であるTome de Sousaに同行してブラジルに渡る。彼の請願により、最初の司教管区が設立される。Brigadeiro Luis Antonio, Avenida 左右 ジャルジン・パウリスタ。本名Luis Antonio de Souza Queiros。1746年ポルトガル生まれ。ブラジルに移民、イトゥーの歩兵隊に入隊、その後、大尉、中佐、大佐と昇進し、1818年准将に昇格。後、商人Santa Casa等に多額の資金を寄贈。Joaquim Eugenio de Lima, Alameda 左右 ジャルジン・パウリスタ。1845年ウルグアイで生まれる。パウリスタ通りを考え、つくった人。Campinas,Alameda 左右 べラ・ヴィスタ。サンパウロ州の都市。1773年6月17日に建設される。当初は、Nossa Senhora da Conceicao de Campinasと呼ばれたが、その後Sao Carlosに改名され、1842年都市に昇格し、Campinasとなった。 Pamplona, Rua 左右 べラ・ヴィスタ、セ。本名Jose Coelho Pamplona。商人。首府の大タバコ工場のオーナー。現在のパンプロ-ナ通り及びその近郊の大地主であった。 Rio Claro, Rua 右側 べラ・ヴィスタ。サンパウロ州の都市からとっている。元々1826年に建設され、当初Sao Joao do Riberao Claro de Piracicabaであったが、町の拡大と共に名称が変わり、1905年に今のRio Claroになった。 Itapeva, Rua 右側 べラ・ヴィスタ。トゥピー・グアラニー族の言葉で、Pedra Chata(平たい石)を意味する。 Casa Branca, Alameda 左側 セルケイラ・セザル。本名Vicente Ferreira de Sylos Pereira(カサ・ブランカ男爵)、1810年生れ,軍人、若くしてサンパウロに来て、カサ・ブランカに定住。慈善家として有名。Nove de Julho, Avenida 左右 べラ・ヴィスタ。1932年7月9日に起こった「立憲革命」として知られた軍の運動の蜂起の日。Peixoto Gomide, Rua 左右 ジャルジン・パウリスタ。1849年サンパウロに生まれる。法学者、アンパロ市市会議員、後上院議長。Ministro Rocha Azevedo, Alameda 左右 ジャルジン・パウリスタ。1864年ミナスジェライス生まれ。法学者、当時のいくつかの新聞に協力。サンパウロ市長、法務大臣。Frei Caneca, Rua 右側 セルケイラ・セサル、セ。本名Frei Joaquim do Amor Divino、1779年レシフェに生れる。説教者、政治家、ジャーナリスト、詩人。マラニョンの司教。帝国に対する数々の反乱に参加。1824年の革命の首謀者だったため、1825年銃殺死刑となった。 Pe.Joao Manoel, Rua 左側 セルケイラ・セサル、ピニェイロ。本名Padre Joao Manuel de Carvalho。帝政時代の共和派の議員。皇帝のいる議会で「Viva a Republica」と叫んだことで有名。 Augusta,Rua 左右 コンソラソン。通りの由来は明確ではない。2説あり、一つは、その地域の地主であったMaria Augustaから来たという説、もう一つは、1850年に生まれた作曲家Maria Augusta Leopoldinaから来たという説。Haddock Lobo, Rua 左右 セルケイラ・セサル。1817年ポルトガルで生れる。医者,若くしてブラジルに渡る。帝国医学アカデミー会員、リオ市会議員、平行6面体の敷石歩道を導入した。Bela Cintra, Rua 左右 コンソラソン、セ。古い荘園からとったもの。その場所がリスボンの郊外にあるシントラの町に良く似ているところから、土地所有者が、そこにDivino Espiritu Santo de Bella Cintraを称え小教会を建設したのがその由来。その教会は、今日Rua Frei Canecaにある。 Reboucas, Avenida ジャルジン・パウリスタ。本名、Antonio Pereira Reboucas Filho、軍のエンジニア-、クリチバ-パラナグア間の鉄道建設の責任者。Consolacao, Rua de コンソラソン。1810年から命名されている。たぶんNossa Senhora da Consolacaoから来たものと推察される。
(平行する通り)
左側
1989年オープン。Rua 13 de Maioに位置する。以前は、SEARSのデパートがあった。
Oswaldo Cruz広場とLeoncio de Carvalho通りの間にある。1935年、建築家Ramos de Azevedo(サンパウロの多くの公共建築を建設、Teatro Municipal等)が自分の娘のために建設した。1985年歴史遺産に指定、文化的行事に使われている。
Oswaldo Cruz広場と Teixeira da Silva通りの間にある。1906年、シスター・Beata Heinrichにより、 Walter Seng博士と Dom Miguel Kruseのサポートを受け設立。サンパウロ市で最も古い民間病院。ハイテク機器を保有し、患者に対して愛情を持って接することで知られている。サンタ・カタリ-ナ修道会からの寄付を受けている。
Teixeira da Silva通りとMaria Figueredo通りの間に位置する。ブラジルで2番目の民間銀行。企業の社会的責任活動を活発に展開。とりわけ文化面の貢献はめざましい。このビルの中の2階と地価、2階で頻繁に各種の美術展を開催するほか、TEATROも持っている。
Maria Figueredo通りと Manoel da Nobrega通りの間に位置する。パウリスタ通りの企業家や商人の財政的負担により、1903年に設立。公共衛生に関わる人材の育成と狂犬病等の動物検疫に従事している。
Joaquim Eugenio de Lima通りと Alameda Campinas通りの間に位置する大きな建物。1958年から1962年にかけて建設された。ガスペル・リベロ財団は、愛国的、文化的、ジャーナリスト的使命を持っている。このビルの中には、TV GAZETAやRADIO GAZETA、テアトロ、映画館がある他、ブラジルでも有名なコミュニケーション学部がある。
Pamplona通りと Casa Branca通りの間に位置する極めてユニークな建物。CIESPは、1928年に創設され、3年後の1931年にFIESPが設立された。サンパウロ州の企業家を代表する組織。サンパウロのビジネスの中心地であるパウリスタ通りが選ばれ、1979年にオープンした。
Casa Branca通りと Peixoto Gomide通りの間に位置する公園。1892年にフランス人建築家Paul Villonによって設計され、Villon Parkとしてオープン。現在の正式の名前は、Parque Tenente Siqueira Camposであるが、通称 Parque Trianonと呼ばれている。公園は、午前6時から午後6時までオープンしている。日曜日には、民芸品市が開催される。Guarda Civil Metropolitanaの事務所もある。
誰もが知っているサンパウロのシンボル。1957年建築家Lina Bo Bardiにより設計され、1968年に完成した。74メートルに及ぶコンクリートのオープン・スペースは世界でも最大級。西洋絵画の美術館としては、ラテンアメリカ一を誇る。日曜日には、MASPのオープンスペースに骨董市がたつ。
(左側にあるもの)
(右側にあるもの)
以 上
会議所所在地
【会議所 トピックス】
定例理事会・第71回定期総会(2020.3.19開催)
海外在留邦人の一時帰国の際の 新型コロナワクチン接種のニーズ調査(2021年4月)
ウェブツールおよび情報収集媒体アンケート結果(2020年9月)
会員企業の新型コロナSDGs (CSR) 他、関連取り組み状況
渡航・オフィス再開等に向けてのアンケート(2020年9月)
新型コロナウイルス感染拡大に伴う企業活動や危機管理に関するアンケート結果【速報】(2020年6月)
【速報2】新型コロナウィルス感染に関するアンケート【その2】一時帰国対応について 3/31日現在
【速報 (更新)】新型コロナウィルス感染に関するアンケート調査結果 4/3日現在 128社
新型コロナウィルス対策に関連する各種法律・政令 3/24
感染対策情報(サンパウロ日伯援護協会提供)3/19
新型コロナウィルス情報(ポル語、サンタクルス病院提供)3/17
ブラジル保健省フェイスブック
新型コロナウイルスに関するQ&A 保健省(ポルトガル語)
ブラジル保健省ホームページ
感染発生連絡③ 3/20
感染発生連絡② 3/17
感染発生連絡① 3/11
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「ブラジル労働法のポイント」 (表紙クリックで内容表示)
(麻生元総理との意見交換会)
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